自由が丘・自由日記


気の向くまま、ひとりごと。
by nattsu358
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カテゴリ:パリ回想( 12 )

ランドセル

子どもの入学のために、新しい筆箱や
ランドセルを新調したと何人かの友達が言っていた。
ロンドンに住むMちゃんからは、子どもが幼稚園に
通い出し、いろいろ大変だとメールが今朝届いていた。
4月は世界じゅうのママたちが忙しい季節なのか。

        ******

いつか昔、モンマルトルの丘をてくてくあてもなく歩いていた。
学校の帰りだったと思う。
仲良しだったMちゃんと二人で。
Mちゃんは芸術家だった。
パリ在住歴が長く、私にいろんな彼女なりのパリを
案内してくれておもしろかった。
なかでも一番強烈だったのは、Mちゃんが通っていた
異国情緒満点のベルヴィルの裏カフェ。
そこでMちゃんはベルベル語をカフェのオーナーに
習っているといって、私を連れて行ってくれた。

店の中は、アラブ人の男しかいなく、正直非常に
日本女性が入りづらい雰囲気。
しかも、等身大くらいの大きさの水パイプを
ふかしているおっさんが2人くらいおり、
常に誰かしらが水パイプを楽しんでいるので
店内はその煙でまっしろ。
息をするのも困難で、店を出たあとは
吸ってもいないタバコの煙が
私の鼻毛にまでしみついていた。

店にはひとつテレビがついていて、みんながそれを見ながら
ミントティーをカウンターで立ち飲みし、喫煙しながら
楽しそうに談笑していた。
そして、露骨な視線で私たちをじろじろ見ていた。

Mちゃんは、そんな風景のなかに普通に溶け込んでいた。
はっきりいって危ない女だったと思う。
モロッコに詳しいMちゃんは、ここのクスクスはパリでも
すごく美味しいと思う、とクスクス料理を私に頼んでくれた。
こんな殺風景なカフェで、料理が出てくるのかと息をのんだ。
とてもメシを食うような場所とは思えない。
それでも運ばれてきたクスクスは絶品だった。

そんなMちゃんとのパリ散策は、時々だったけど楽しかった。
モンマルトルの丘の途中を歩いていると、かわいい洋服やさんや
アクセサリーやさんがぽつぽつとあるからおもしろい。
そのひとつのブティックに二人で入った。

しばらく洋服や指輪、時計などを見てショッピングを楽しんでいると、
中から長髪のおぢさんが出てきて挨拶をしてきた。

「日本人ですか?」
と話しかけられたのではい、そうですよ、と答えた。

「ちょっと質問があるのですが・・・」とムッシュー。

なんですか?と答えると

「あなた方の国に、子どもが使う素晴らしいサックがありますよね」
と尋ねてきた。
牛革をあしらい、四角い美しいフォルムで高価。
あんな素晴らしいものを子どもがもつなんて日本て国はすごい!という。

Mちゃんと私は顔を見合わせて「ランドセルだ!」と思わず叫んだ。

ムッシューは、ランドセルを輸入してぜひ自分の店に
置きたいといっていた。
そして、ぜったいパリでもランドセルは流行るはずだと自負していた。
なのでいつか手伝ってくれませんかといわれ
私たちもぜひ!なんて答えておいて
結局そのままになってしまった。

そうそう。パリでは背中にサックを背負っている人たちが多い。
私も当時、黒いナイロンのリュックをしょって活動していた。

4月は新しいランドセルの季節。
突然、あのランドセルに魅了されていたムッシューを
思い出してしまった。
あれからパリに出かけても、ランドセルを背負った大人を
見かけたことは一度もない。
やはり輸入するにはコストがかかりすぎたのだろうか。
それとも輸入してみたものの、パリジャンたちには
見向きもされなかったのだろうか?

いつかほかのヨーロッパの国を訪ねたときも
ランドセルが素晴らしいと絶賛された記憶がある。
子どものころ、ランドセルなんて重くて嫌いだったけど
そんな風に時折、その国では当たり前すぎて意識されないものが
異国の人の目に良く映ることってある。

例えば私がニースに暮らしていたときに
かわいいからと使っていた籐のかごも、そういった類だと思う。
籐のかごは、あくまで買い物専用という感じで
長ネギやバゲットをぶっさして、地元の人たちは使っていた。
東京では夏物のちょっとしたおしゃれバッグみたいな存在なので
パリのムッシューのランドセルとちょっとかぶっているかもしれない。

***
ところで、Mちゃんのベルベル語個人レッスンの話にはおまけがある。

ある日Mちゃんがいつものようにカフェ・オーナーの家を訪れると
奥さんや子どもたちが異様に微笑みかけてくるので、
なんだろう?と不信に思っていたら、

「僕の第二夫人になってもらえませんか」

と告白されてしまったそうだ。
奥さんもにこにこ歓迎してくれ、本当にびっくり仰天したといっていた。

世の中には、予想もつかないようないろんな種類の勘違いがある。
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by nattsu358 | 2006-04-19 13:28 | パリ回想

パリの幽霊

1月の上旬に、母と岸恵子さんの写真展へ行ったとき
彼女の暮らすサン・ルイ島の写真が何枚もあって
昔アパートを探しに歩いた日々を思い出した。

           ***

パリの住居探しが複雑で大変なことは世界でも有名な話。
とくに外国人だといろいろな証明書類が必要で手がかかる。
私もご他聞にもれず、部屋探しには大変苦労した。
週に1度キオスクが開く早朝に、不動産情報誌を買って
めぼしいところを午前中いっぱいかけてチェックし、
午後はそこらここらに電話をかけまくり、
部屋の見学の約束をとりつけるという作業を
何週間か繰り返していた。
せっかく取り付けた見学をすっぽかされるという
情けないほど切ない日もあった。

私はパリに憧れて、パリに留学した普通の女の子だったので
歴史の古いサン・ルイ島に住んでみたかった。
そして、とてもよさそうな物件をついに見つけた。

だけど学校でそのことをドイツの女友達に話したら
「サン・ルイ島はお化けがいっぱい出て、友人がすごく
怖い思いしたっていってたよ」
といった。サン・ルイ島のお化けばなしは
ほかの日本人男子からも聞いた。

飾ってあった肖像画の少女が毎晩夢に出てきて
追いかけられたという。
霊感の強いクラスメートがいて、除霊してもらって
なんとか引っ越さないで済んだといった。

わたしも一度だけパリに暮らしているとき
お化けらしきものを感じたことはあった。
最初に借りたレンヌ通りに面したアパートだった。
当時ヘアメイクをしていた友人から又借りしてた部屋だった。
広い間取りでキッチンも家具も申し分なかったけど
なにか寂しい空気がいつも流れていた。
それは言葉で説明できそうにもないくらい変な寂しさであり、
どんな明るい音楽を爆音でかけても全くかき消すことのできない
静寂がどんよりと部屋じゅうに充満しているのだった。

で、どこにでも必ずでてくる「霊感の強い人」がある日その部屋を
たずねてくることになり、私にこう告げた。

「なっつさん。怖がらないでね。言ってもいいですか?」

そこまで言われたら聞きたくなくても聞いてしまうのが人間のサガでしょう。

「教えてください。この部屋はなんかあるんですか?」

「3人の霊がいます。ひとりは子どもで二人は男が一緒に住んでいます」

「・・・・・」

サイアクの気分だった。怖かった。
それでも夜は疲れきって熟睡してしまう自分の図々しさを
すごいと思った。
ひとりぼっちで外国に暮らす女の
お化けなんかに負けてたまるかという気合。


*****

ところで憧れのサン・ルイ島の物件。
私はやっとのことで見つけた物件に、わくわくしてでかけた。
恋人も一緒に住むかもしれなかったので、彼も付き添ってくれた。
彼は最初からサン・ルイに住むことには反対だった。

私はただのミーハー娘だったので、ちょっとすてきであれば
どこでも「ここが、いい」と二言目にいっていたので
彼的には心配もあったんだと思う。

私が暮らそうと思っていた部屋は、屋根裏部屋だった。
家賃のわりには広く、キッチンにカウンターがついていたり
暖炉がついていたり、すぐに気に入ってしまった。
窓から眺める中庭もすてきだった。
すぐにそこに住もう!と思ったが、ひとつだけどうしても
生理的にダメなものがあった。

それは屋根裏にいきつくまでの階段の踊り場にあった鎧。
昔どこかの戦で誰かが身に纏っただろう鎧が、佇んでいるのだ。
本当に気味が悪い感じがした。
恋人も気持ち悪がった。
もし夜中、家にひとりで帰ってきたとき
あの階段をひとりで上れるの?と聞かれ、私は考えてしまった。
階段は広かったけど、暗くてかび臭かった。
結局憧れのサン・ルイは諦めた。

     ***

パリの幽霊ばなしは、住んでいる間に何人かに聞かされた。
フランス革命のとき死んでいったたくさんの人の霊が
パリの街をいまだにさまよっているという。
パリスブルーといわれる、パリ特有の陰鬱さは
長い曇り空のせいだけではなくて、
そんな浮かばれない幽霊たちのせいなのかもしれない。
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by nattsu358 | 2006-03-18 16:56 | パリ回想

パリ回想 vol9. 「ニコラの家に行く」

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夜ホテルからニコラに電話したら、ちょうどシモンもこちらにきていることをしった。
明日、ニコラの奥さんとシモンとシモンの恋人と一緒にご飯を食べようとのこと。
東京にまだニコラがいる頃、
「いつかパリでみんなで大集合して遊びたいよね」
というのはかねてからの口ぐせだった。
当時、そこにいたメンバー全員が集まれることは早々ないが、
シモンとわたしが同時にパリいるだけでも、けっこうな奇跡だ。

シモンは東京で働いていて、ニコラはパリで外交官をやっている。
ニコラがまだ東京で勉強していたとき、彼のパリの恋人が早く帰ってきてほしいから、と
外交官のテストを申し込んでしまった。
「受かるはずないよー」と言いながらテストを受けに帰っていったが、あっけなく受かってしまい、ほんとうに帰ってしまった。彼が帰ってしまってから早3年。再会するのはほんとうに久しぶりだ。

シモンのアパートがあるreaumur sebastopoll駅のモノプリ前で待ち合わせする。
シモンの恋人のカイくんも一緒だった。
それから、シモンのアパートで三人でお茶を飲む。
シモンはパリに帰る部屋があって羨ましい。私もいつかこっちに部屋を持ちたいと密かに望んでいる。
私は、ここ数日襲われてしまった別れたパリの恋人への郷愁をシモンにこんこんと話し、ただただ聞いてもらう。
「しょーがないよねー。ちょっとさみしーねー」と彼。
いつも聞き上手なシモンに感謝している。落ち込んでいるとき、よく一緒にいてくれた優しい人だ。

9時頃、17区のニコラのアパートへ三人で向かう。私は月並みだけどボルドーの赤ワインを買った。しかも、モノプリで!ちょっとこれじゃやばいよねということで、シモンの家でラッピング用紙を探してもらい、それに包んでもっていった。シモンは日本からおまんじゅうを持ってきていた。(笑)

お家に着くとニコラの奥さんのベンジャミーナが出迎えてくれた。
もちろん彼女はフランス語だけなので、私の情けない語学力は、私をただニヤニヤ笑う“ニヤリスト”に変える。
やっぱり政治とか経済の話になると、まったく会話についていけない。
懐かしい学生時代の数々のフェットを思い出した。最初は、会話にがんばってついていくんだけど、結局夜半過ぎには、だんまりしてしまうあのパターンを!
シモンがそんな私たちに懸命通訳してくれて、すごく助かる。
1時間くらいたってやっとニコラ登場。外交官はめちゃ忙しいらしい。ていうか、スーツ姿の
ヤツを見るのは初めてだったので、かっこいいよと誉めてあげた。

テーブルの上にラクレットのための機械がセットしてあった。初めてみた。
ウチにもぜひ欲しいと思った。大量のラクレットチーズがカットされてあって、
専用の鉄板にのせて、とろけるまで温める。
それをゆでたじゃがいもや、生ハム類、サラダなどにかけて食べる。
すんごーくおいしい。いっしょにサヴォワの赤と白のワインをあけてくれた。
ラクレットはサヴォワの郷土料理だから。
ワインのマリアージュを考えるのは、とても楽しいことだ。そのために、やっぱり
ニコラたちも大きなカーヴを買っていて、嬉しそうに見せてくれた。
ニコラは、とても幸せそうで元気そうだった。
そして、いつか在日フランス大使館へ行くんだ!と語っていた。ぜひまた戻ってきてほしい。

12時過ぎくらいに、ニコラたちがタクシーを呼んでくれて6区のホテルに戻った。
シモンとカイくんともそこで別れた。
今度彼らのお家を訪ねるのはいつになるのかな。。。。?
タクシーのおじさんは、アラブの人だった。タクシーからアラブのポップスが流れている。
一時期、アラブ系のトモダチがパリにいっぱいいたことを思い出して懐かしくなった。
何度かアラブの若者が集まる怪しい店に遊びにいって、アラブのポップスで踊りまくってかなり笑えたものだった。

チュルリー公園の前にさしかかったとき、思わずはっとして外を見た。
エッフェル塔がものすごくチカチカきれいに輝いていたのだ。
時計を見ると1時きっかり。これを見るといつも、なんだか、とても良いモノを見た気分になる。
最後にこのチカチカを見たのは2000年のお正月だった。東京に帰る飛行機の中でだった。
ずっと寂しいとか切ないとかばっかり思っていた今回のパリ再訪だったけど
あの頃は知らなかった新しい友人と出合っている自分もいるんだな、と思った。
いくらでも新しいパリは自分の気持ちさえ変われば創れるんだとタクシーの中から思った。

次の日はニースだ!
さようなら、パリ。また必ず近いうちに来よう。できれば新しい家族たちと。
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・・・そして、今度は右岸に部屋を取ろう。

le 16 sept 2004
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by nattsu358 | 2004-10-24 17:39 | パリ回想

パリ回想 vol8  「foyer du vietnam」


母は、ホテルで朝食をとり、午前のうちからモンパルナス・タワーへ
買い物へ行くとはりきって出かけていった。
私はレンヌ通りのカフェでカフェ・クレームだけ飲んでから、
今日は一日思い出の場所をひとしきり歩くことに決めた。

だんなにメールを出したかったので、インターネットカフェを探しがてら
まずはリュクサンブール公園まで行くことにする。
ここは相変わらずパリの人たちの憩いの場所だった。
やっぱりすごくすてきな公園だった。
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パンテオンの裏手に学校があったので、その辺まで行ってみる。
これまたすごく懐かしい。

あの頃はとても貧しかったので、昼休みは寒い学校の廊下でサンドイッチをかじったあと、
カフェのバーで安くカフェを立ち飲みして済ませていたりした。
そのカフェの前を久しぶりに通る。

それから、5区のムフタール街まで歩いた。
とてもお腹がすいたので、どこかでお昼を食べようと探したけれど
なかなかどこもひとりで入る気になれず、結局モンジュの駅まで来てしまった。
さてどこで食べようか、と考えながら歩いているうちに
このそばにおいしいベトナム料理店があったことを思い出した。


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駅を通り過ぎて少し歩いたところに、そのベトナム料理店は変わらずあった。
名前はfoyer du vietnam。質素な看板と店構えはまったく変わってなかった。
相変わらず地元の人たちで大繁盛していた。
ひとりで入るのに少し躊躇したけれど、
もう一度、懐かしいあの味を味わってみたかったので入ることにした。
お昼の定食が安くて美味しい。
やっぱりここもよく恋人と来たお店だった。

小さなテーブルに案内されて、サイゴン・スープと鶏肉炒めを頼んだ。
まさか一人でこの店に来るなんて、あのとき誰が予測できただろう。
今でもあの子がここの店に来ることはあるのだろうか?と、
考えても仕方ないことをまた考える。
そのとき、背中の丸くなったお婆さんとおじいさんが私の目の前の席に合い席となった。
ただでさえ小さなテーブルなので、なんとなく居心地が悪くなる。
センチメンタルに浸っているような環境ではなくなる。
なんとなく不愉快。ひとりでランチを楽しみたかった。心の狭い私が出てくる。

そんなとき、おばあさんが

「お水はいかがですか?」

と声をかけてくれた。

「ありがとうございます。はい。下さい。」と私。

そのうち食事が運ばれてきて、3人でだまってひたすら食べた。

おばあさんが、帰り際、私にこう話しかけた。

「もうパリには長いんですか?」

地元色の強いお店なので、きっと暮らしている者に見えたのだろう。

「いいえ。観光できているんですよ」

「そうですか。私たちの国、とても美しいでしょう。
きれいなものがたくさんあるので、どうぞパリを楽しんでくださいね。」

そういって席を立たれた。
なんだか、とてもありがたいようなあったかい気持ちになった。
あの頃は、向かいの席にいつも恋人がいた。
今日は知らないおばあさんたちの顔があった。
沈んでいた気持ちに、少しあったかい光が照らされたような瞬間。
もしかしたらおばあさんは、私が沈んだ顔でご飯を食べているのを見たのかもしれない。

私は、この国のもつ特有の飾り気のない庶民的な感じが好きだ。
いろんな人種が暮らしていて、街によって、少しずつ色が違う街。
とても質素で地味に暮らしている人たち。
今の東京の生活ではなかなか出会えない、下町的な情緒とか
人と人との触れ合いとかがこの街にはたくさんある。
どこか田舎っぽいような人間関係に私はいつも安心感を覚えた。

日に日に少しずつだけど、過去に縛られていたパリから
新しいパリへと、自分の意識が変わっているのを感じた日だった。

○5区のベトナム料理店 フォワイエ・デュ・ヴェトナム foyer du vietnam
80 rue Monge / 75005 Paris
Place Monge.
tel 01 45 35 32 54.(Ouvert de 12h à 14h et de 19h à 22h.)
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by nattsu358 | 2004-10-21 19:31 | パリ回想

パリ回想 vol7 「コインランドリー」


ボン・マルシェを出たあと、まだ母の待つホテルに戻れなくて、
もう少し感傷的な気分に浸るため、重い袋を持ったまま周辺をとぼとぼ歩いた。
街の景色はやっぱりなんにも変わっていなかった。
セーヴル・バビロンの公園にはいって、泣いてしまおうかとも考えたけど、
夜で門が閉まっていて、泣く必要なんてないのだと自分に言い聞かせた。

空は、なんともいえない薄い桃色でとてもきれいだった。

「大丈夫。もう帰ろう。」
戻って、ホテルのレストランのおじさんにお皿やナプキン、カトラリーを
貸してもらい、母に熟したいちじくやヨーグルト、キッシュを出してあげた。
簡単な夜食をとても喜んでくれた。

そのあと、洗濯物がだいぶたまっているという理由で、コインランドリーへ行った。
問題のシェルシュ・ミディ通りにそのコイン・ランドリーはあった。
山のような洗濯物と、鬱蒼とした気持ちを抱えて歩く。
自動販売機に2ユーロを落とし、大型の洗濯機に汚れ物と洗剤をセットした。
ぐるぐると回り始める大きな洗濯機。時間は30分と書いてある。

しばらくぼーっとランドリー内の椅子に座っていた。
でも、だんだん気持ちがそわそわしてくる。
あのアパートが一目みたいという衝動にかられる。
もう抑えられない。

そう思い立った瞬間に通りへ飛び出し、小走りにアパートまで向かった。
80番地だった私のアパート。
学生のころ、好きな男の子の家へいくときのような、
わくわくどきどきはらはらしてしまう。

行ってみると、建物自体は何も変わっていなかった。
彼とは会うはずがないという想定で、
うろ覚えのオートロックキーの番号を押した。
が、重い緑色のドアはびくとも動かない。
当たり前だ。もうあれから四年も経っている。
キーのナンバーが変わってもおかしくはない。
私はもはや建物の中に入ることも許されないのだ。
そう思った瞬間、ドアが開き、中から女の子が出てきた。
「ボンソワール」
私は住人のふりをして挨拶を交わし、するりと中に入ってしまった。
奇跡だ。
そ知らぬ顔をして、だけどものすごい緊張しながら
中二階だった自分の部屋の前までいく。
予想どおり、部屋窓は真っ暗だった。誰もいないのだ。
そっと胸をなでおろして、ポストを見た。
表札はもはやない。だけど手紙がたくさんはさまったままだった。
まだここに住んでいるのか、どうしても知りたかったので、
ひとつだけ拝見させてもらった。
宛名は昔の恋人の名前だった。消印は8月31日。

8月をもって、彼はこの部屋を引っ越したのだということがわかった。
彼が引越したニ週間後に、私はパリに来たのだった。
なんという偶然だろう。
私が四年ぶりに来るのを知っていたかのように、引越しをしていたのだ。
もし去年きていたら、もっと打ちのめされてしまったかもしれない。
この奇遇に私は、ものすごい奇跡を感じてしまった。
神様は、すべてみんなの心を知っていて、
もう二度と、誰も傷つかないように全部のコマをうまくずらしてくれたような気がした。

シェルシュ・ミディのその部屋に、今まで本当にありがとう、サヨウナラと言って立ち去った。
私をとても幸せにしてくれた部屋だった。
もう二度とここを訪れることはないだろう。

再びコインランドリーへ戻る道すがら、
もうほんとうにすべて過ぎ去った日々で、ほんとうにすべて終わったことなんだと思った。

そして、また洗濯機も日常もぐるぐると回りつづける。

le 14 sept 2004
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by nattsu358 | 2004-10-17 22:07 | パリ回想

パリ回想 vol6 「かなしいボン・マルシェ」


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午後、シャンゼリゼ大通りへ母を案内して、かなり歩き疲れてしまい、
夜に予定していた、バトー・ムッシュに乗るのをあきらめた。

午後7時、ボン・マルシェの食料品館へひとりでいった。
昼間、けっこう食べたので、夜はかんたんに
フルーツとミネラル・ウォーター、ヨーグルトなんかを買うために。

ボン・マルシェはシェルシュ・ミディに住んでいたとき、
毎日食料を調達していた思い出のスーパーだ。
数あるヨーグルトを選ぶときも、タラモサラダを選ぶときも、
キッシュなどのお惣菜を選ぶときも、
ものすごく切ない感情がこみあげてしまう。

なぜ、わたしはここでの生活を捨てて帰ってしまったのか?!
かけがえのない人を置いて、日本に戻ってしまった私。
そんな自分のことをどこかでずっと責めて生きてきた気がする。
東京にいても、心が半分パリにあるつらい状態が数年間続いた。

「本当にこれで良かったのだろうか?」
などと、考えてもどうしようもないことが浮かんでくる。
過去を想い続けるのは、本当に無駄で愚かなことと思っていたし、
ぜったいに振り向かないように努めてきた私だった。
自分の決めた行動を「後悔する」なんていうのは、
本当に後ろ向きでくだらないことだと。
なのに、ボン・マルシェのあの雑多のなかで、ばかみたいに
思いっきり郷愁に浸りながら、買い物のカートを押してぐるぐる店内を回った。
ほんとうは思い切り泣きたかった。

スーパーの至るところに、あの頃の思い出が散らばっていた。
いつも恋人と買い物した場所。
ずっとずっとあのスーパーのなかにいたかった。帰りたくなかった。
そして、私の頭の片隅では、もしかしたら彼が今でもあのアパートに住んでいて、
このスーパーに今、買い物に来るのではないかという小さな期待が浮かんでは消えた。
いまさら会っても仕方がないことは、100も承知のはずなのに。

夕暮れどき、レジを打つ音が鳴りっぱなしのスーパーで、
あんな悲しい気持ちで買い物している客は、きっとあの日私ひとりだったと思う。
現在をぜんぶ忘れて、私はものすごく孤独だった。
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by nattsu358 | 2004-10-17 21:38 | パリ回想

パリ回想 vol5 「パークハイアット・パリ」


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今回はランチのみ。いつか宿泊したいホテルのひとつである
ヴァンドーム広場にできたばかりのパークハイアット・パリ。

ランチは、ア・ラ・カルトで前菜と主菜を頼み、ひとり約50ユーロほど。
おいしいプイィ・フュイッセと共に。
東京のおかしなレストランで食べるよりずっとお値打ちなんではないだろうか。


ビジネスランチをしているおじさんたちの姿が目立った・・・。

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(お刺身風サーモンのマリネ、牛フィレのローズマリーで風味付けされたステーキ、季節のきのこのソテー)
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by nattsu358 | 2004-10-16 18:28 | パリ回想

パリ回想 vol4  「rue du bacとロダン美術館」


パリ、3日目。カーテンを開けると、昨日の雨が嘘みたいな真っ青な空が広がっていた。
その朝も、同じカフェへいき、カフェクレームを頼む。
母には、一緒にタルティーヌをとってあげた。
今日は、ホテルを出る前に、最近ヴァンドーム広場にできた
パーク・ハイアット・パリで昼食の予約ができたので、軽く済ませることにした。
"良い一日を!"という明るい店員さんの声で、気持ちよくお店を後にする。
こういうすてきな一言をさらりとかけられると、清々しい気分になる。

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とりあえず、バック通り rue du bac へと向かった。
そこからヴァレンヌ街まで歩き、ロダン美術館へ。
ロダン美術館は、私がパリのなかで最も好きな美術館のひとつだ。
とりわけそこの庭が好きで、本を持っていってはひとりのんびりと過ごした場所だった。
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バック通りは、いつも通ってたボン・マルシェという食料品スーパーの脇から始まっている。
昔、まきちゃんがこの通りに住んでいた。まきちゃんは、すごい東洋美人で、
その当時、パリジャンたちをぶいぶい言わせながら、アタッシュ・ド・プレスの勉強を
ばりばりしていて、いつも前向きでエネルギッシュですてきな人だった。
恋人とけんかをして部屋にいられなくなったとき、
このバック通りをまっすぐ突き進み、まきちゃんの部屋にかけこませてもらった。
アール・デコ調の門がとてもすてきなアパートで、その門をくぐるたびに
なんかとてもパリにいるんだという気分になった。
まきちゃんの家には、いつも美味しくて新鮮な紅茶がおいてあって
彼女がいれてくれるお茶がいつも楽しみだった。

それから、バック通りとヴァレンヌ通りが交差している角のカフェでもよく二人でお茶をした。
そのカフェが今でも健在で嬉しくなる。
近所の老舗フロマージュリーから香ってくるものすごいチーズ臭にやられながら、
笑ったり、カフェを飲んだり、たばこを吸ってみたり、パリの午後を楽しんだ。
私たちは学生だったので、ひまな時間がたくさんあった。
ひまだから、余計な不安もたくさん抱えていた。
たまに会う日本人の友達との会話にずいぶん癒された。

まきちゃんは、もうバック通りにはいない。
結婚して、ロンドンに移っていて、今はお子もいる立派なお母さんだ。
そんなことを回想しながら、カフェのところを左に曲がってロダン美術館へ向かう。
窓際のあの席で、ひまを持て余している、不安定でお気楽な学生だった
自分たちが、今でもお茶をしているのが見えるような気持ちでその前を通り過ぎた。
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le 14 sept 2004
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by nattsu358 | 2004-10-16 18:08 | パリ回想

vol3. 追記


カフェ・マルリーを出る頃、運よく雨が上がり、母とセーヌ河をわたることができた。
写真をたくさん撮ってあげた。
95番のバスには、乗らないで帰ることにした。

ボザールや連なるアンティークのお店を横ぎってさらに歩き
カフェ・ド・フロールの隣りの本屋さんに立ち寄ることにした。
ここではすてきな本に出会える確立が高い。

ひとしきり店内をみまわしたあと、平積みになった画集のなかから、
ジャック・ブレルjacques brelの歌詞が綴ってある分厚くて美しい一冊を見つけた。
"les plus belles chansosn de Jacques Brel"
(ジャック・ブレルの最も美しい詩)
淡い色のイラストはGabriel Lefebvre。
東京に戻っても、フランス語の美しさとそのエスプリに触れられるような気がして、
買って帰ることにした。
一緒に観光客向けのサン・マルタン運河のきれいな絵葉書も買った。

この日の夕食は、何を食べたのかまったく覚えていない。

le 13 sept 2004
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by nattsu358 | 2004-10-13 01:33 | パリ回想

パリ回想 vol3 「雨のルーヴル」


翌朝、さあ母をどこに連れていこうかと考える。
とりあえずパリらしく、おいしいクロワッサンを食べさせてあげたくて
近所のパン屋で二つ買って、前によくいっていたカフェでカフェ・クレームを頼んだ。
母も初めてのパリの朝食に喜んでくれていて、とても嬉しくなった。
私が初めて暮らしたパリを母と歩けることは、私の夢のひとつだった。
きっと母もこの街をとても気に入るだろう。

そのあと、メトロにのってポンピドゥーセンターのある場所へ向かう。
レンヌの駅で、久しぶりにカルネを買った。そんなことでさえもなんだか嬉しい。
ポンピドゥーも何年ぶりだろうか。よく映画を見たり、図書室を利用したが
常設展へいくのは久しぶりだった。
が、時間があまりないせいか、落ち着いて絵を見ることができなかった。

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レストランを探しに、オテル・ド・ヴィルからルーヴル美術館まで来たときに、
突然小雨が降ってきて、ルーヴル・ホテルのレストランに駆け込む。
窓際の席に案内してもらい、白ワインを頼み、鴨の燻製がのったサラダと
自家製のソーセージを、のんびり雨を眺めながらつついた。

食事のあとはオペラ座を見せてあげようと思い向かったが、
途中雨が本降りになってしまい、結局95番のバスでホテルへ戻ることにした。
が、途中、ルーヴルのピラミッドが見えて、どうしても通りすぎることができなくなり、
母に無理いって、カフェ・マルリーへ寄ることにした。
カフェ・マルリーのテラスは、夕焼けがとても美しい場所なので
夕暮れどきを狙って、ときどきお茶を飲んだ。
でも、今日は雨のピラミッド。きれいな夕焼けは見られない。

あの子は今、この街のどこで何をしているんだろう?

le 13 sept 2004
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by nattsu358 | 2004-10-13 00:21 | パリ回想